岩城温子と言えば、大の中国好き。「彼女に中国を語らせたら止まりませんね。」と岩城の友人は語る。高校時代から描いていた「日中友好」という壮大な夢。とは言え、そんな岩城も一度は、夢を諦めかけたという。しかし彼女を初心に戻したのも、また、「中国」だった。
「どうすれば中国と関われるんだろう…」
高校時代に中国の来賓を出迎えた経験から、「将来は日中友好の最前線で活躍できる人材に!」との決意を胸に大学に入学した岩城。しかし、「自分」と「中国」の関わり方に頭を悩ませる日々が続いた。「とにかく、何でもいいから中国って決めてたんです」。がむしゃらに中国に関わり続けようと挑戦を開始した。
初めてできた中国の友人。 「民間レベルで、日中友好ってできるかもしれない」
2年次には日中韓ビジネスコンテストに挑戦し、初めて中国の友人ができた。「日中の問題を自分事として捉えるようになりました」。身近な中国の知り合いができたことをきっかけに、今までニュースで見聞きしていたことを身近に感じるようになっていった。さらに、「民間レベルの日中友好」が岩城にとって大きなキーワードとなる出会いがあった。キャリア科目の「ワールドビジネスフォーラム」で出会った中国駐在のOBの活躍である。日本人・中国人などの“国籍”という枠組みではなく、「自社の製品を通じて中国のよりよい生活を」というただ一点にひたすらに注力する姿に衝撃を受けた。一人と一人の交流。民間レベルで日中友好ってできるかもしれない―。3年次には福建省に位置する厦門大学に念願の交換留学を勝ち取った。
「ここは、中国じゃない…」
憧れを抱き続けた中国に、生まれて初めて降り立った岩城が感じたのは、「理想」とはかけ離れた中国だった。食べ方が汚い。並ばない。公共の場でもごみは捨てっぱなし…当り前じゃないことが次から次へと岩城の目に写った。「自分の価値観の方が絶対に正しい」。しばらく「リアル」な中国を受け入れられない日々が続いた。
「小日本人!」と言われて衝撃を隠せなかった。 でも最後に、「絶対に戻ってきてね」。すごく嬉しかった。
半年近く経った頃に始めた小学校でのボランティア。いつも通り、子供たちに日本語を教えていたある日のこと。「小日本人!」―突如どこからか、日本人を侮辱する言葉が投げかけられた。「最初は、何が起きたのか、正直受け入れられませんでした」。反日デモにて飛び交った日本人の蔑称を使ったのは、あどけない顔をした、たった7歳の少女だったのである。
しかし、そこで岩城は怯まなかった。彼女たちにとって“初めて出会う”日本人としての自分の存在。自分の一挙手一投足が、日中友好を築く一歩になる。これまで蓄積してきた日中友好への思いが、岩城を諦めさせることはなかった。目の前の一人を大切にしたい―。毎日、どんな時も、絶えず少女に話しかけた。そして、ボランティア最後の日。「ねえ、また絶対戻ってきてね」。半年を過ぎてからは、中国の良いところしか見えなくなったという。「中国は縁を大事にする国。また戻りたいですね」。
「温子はいつ中国に戻ってくるの?」 その一言が、私を中国に戻してくれた。
日本へ帰国後、就職活動が始まった。「中国と関わりのある会社に」との思いで、30社以上の会社を訪問した。しかし、足を動かせば動かすほど、自分の思うような会社には出会えなかった。中国へのこだわりが私を苦しめているのかもしれない…中国へのこだわりを捨てれば、もっと自由に就活ができるかもしれない…そんな思いが何度も頭をよぎった。そんなある日のこと。岩城の23歳の誕生日を祝ってプレゼントが届いた。宛先を見ると、厦門留学時のホームステイ先のおばあちゃんからである。そこにはこう書かれていた。「温子はいつ中国に戻ってくるの?みんな待ってるよ」。そうだ、戻らなきゃ。中国が私を呼んでいる…。
そこから、彼女の第二の就活の幕が開けた。中国留学中に感じた、内陸部と沿岸部の貧富の格差。「格差を作っている原因はたくさんあるけど、元を辿っていくとインフラ、さらに電力や電気などの元となるエネルギーが重要だと気つきました」。エネルギー業界の猛勉強を重ねた末、大手石油業界への内定が決まった。「将来は、エネルギーの安定供給を通して、中国をはじめとしたアジア、そして世界の生活基盤を支えたい」。岩城の情熱は燃え続ける。
岩城温子の4年間
1.入学
「日中友好に貢献できる人材に」「グローバルな舞台で勝負できる実力をつけたい」との思いで、創価大学に入学しました。
2.GCP(グローバル・シティズンシップ・プログラム)1
「まずは徹底的に英語力とアカデミックスキルを身につける」と決め、1日10時間以上の勉学に挑戦しました。志高く、共に頑張れる多くの先輩や同輩に出会いました。
1GCP(グローバル・シティズンシップ・プログラム)とは、本学で2010年にスタートした、将来国際社会等の舞台での活躍を目指す学生を対象とした学部横断型のオナーズプログラム。3.フィリピン短期研修

カガヤンデオロにて現地調査を行い、フィリピンの看護の問題について解決策の提案を行いました。現地と日本の生活水準の差に大きな衝撃を覚え、進路を考えるきっかけとなりました。
4.日中韓ビジネスコンテスト
海外で自分の力を試したいと思い、韓国で行われたビジネスコンテストに参加。ハイレベルな海外の学生に圧倒され、自分の実力不足を実感し、より高度な語学力やディスカッション能力をつけようと決意しました。
5.厦門大学への交換留学

高校時代より希望していた中国大陸へ1年間交換留学。現地では多くの出会いがあり、今後の人生においても中国とずっと関わっていきたいと強く思いました。
6.中国の小学校でのボランティア活動

現地の小学校でボランティア活動に挑戦しました。現地の小学生たちと忘れ得ぬ思い出をつくることができました。
7.中国大陸旅行
8地域に列車で旅行をしました。内陸部と沿岸部の生活水準の格差を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。進路を考えるうえでの大きな転機となりました。
8.日中学生会議2

1年間の留学を通して、民間交流の重要性を実感しました。そして、より多くの人に日中関係を考える機会を提供したいと思い、日中学生会議の実行委員として活動しました。
2日中学生会議は、1986年に設立された、日本と中国の学生による国際的な学生団体。毎年8月の2週間、共同生活や様々な 討論・交流を通じて日中両国の学生の相互理解を深めている。9. 内定
エネルギー業界より内定をいただきました。
10.CSS(キャリアサポートスタッフ)3
CSS活動を通し、「創価大学のために生涯戦い続ける」との決意を固めました。
3CSS(キャリアサポートスタッフ)は進路が決まった4年生のグループで、主に1、2年生のキャリアサポートを行う。11.卒業
創大生としての誇りを胸に、社会に出ても地道に努力し続けます。将来は世界のエネルギーの安定供給に貢献できる人材になります。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |











