突きつけられた現実

 日はすっかり短くなり、外はもう真っ暗だ。寒気が体を刺したが、斎藤は身震いしながらもそれを気にしようとしない。 「僕は、頭が、悪いのかも、しれない」。20歳の齋藤は、突きつけられた現実を受け止めることができないまま、ただ呆然としていた。

「学者になりたい」

 「小学校の頃から、ずっと優等生でした。正直なところ、勉強で困ったことは一度もありませんでした」。幼少期から大の読書家だった斎藤は、中でも歴史や哲学に関する本に熱中していた。その中で、多くの偉人やリーダーたちの思想が、世の中を大きく動かしてきたことを学んだ。「思想や哲学は、人間の行動を決め、社会を作っていく重要な鍵なんだ。僕は学者になって、もっと学問を、思想や哲学を追求したい」。この一心で、創価大学文学部に入学。当初の念願通り、文学書や哲学書を読みあさる日々を送った。入学して1年がたったころ、齋藤は哲学の教授のゼミ室を訪ねる。専門家との議論を通して、もっと自分の世界を広げたかった。

「君はこれまでの人生で、あまり頭を使ってこなかったようだね」

 その後、斎藤は週に1度の哲学の読書会に参加し始める。自分の能力に自信があった。人一倍勉強してきたという自負もあった。しかし教授が齋藤にかけたのは、思いもよらない一言だった。「君はこれまでの人生で、あまり頭を使ってこなかったようだね」。
 読書会の議論はレベルが高く、ほとんど発言することができない。たまに勇気を出して自分の意見を述べても、場を白けさせてしまう。やがてある考えが斎藤の頭に浮かぶようになった。―「僕は、頭が、悪いのかも、しれない」。これまでの人生をずっと優等生として生きてきた齋藤にとって、それはあまりに酷な現実だった。自分の人生の航路を完全に見失った。

カントが教えてくれた

 大きな挫折を味わった齋藤。心身ともに疲弊していた時、大哲学者カントの言葉に出会う。『度重なる不運と耐えがたい心痛。自らに与えられた絶望的な運命のために、生きる喜びを全く失ってしまった人がいるとしよう。しかしこの不幸な人が、臆病になったり打ちのめされたりすることなく、みずからの運命に怒りをもって立ち向かうならば〔…〕その人の行動原理は道徳的な内容を備えるのである』 この言葉が斎藤を奮い立たせた。「そうだ、自分に与えられた運命を受け入れて、思い切り立ち向かってやろう」。
 生気を取り戻した齋藤は、2年次の春休み全てをカントの代表作『純粋理性批判』の精読に費やすことを決意。数ある哲学書の中でも、特に難解とされる一書だ。たった1ページを読み進めるのに、1時間もかかった。それでも毎日分厚い哲学辞典を片手に、図書館に通い詰めた。無我夢中で読書にふけり、閉館のアナウンスで我に返る日々を過ごした。

「大学院に行って、研究しなさい」

 哲学の大著を読破して迎えた春休み明け、齋藤にある変化が生じた。それまで全くついて行くことのできなかった読書会で、他の参加者や教授と対等に意見を交わせるようになったのだ。
 さらに齋藤は、それまでの思索の成果をまとめた渾身の論文を執筆する。「脳が溶けるのではないかというほど、考えて、考えて、考え抜きました」。悪戦苦闘の成果を教授に提出したところ、「創価大学40年の歴史の中で、哲学の論文では一番の出来だ」 との評価を受けた。3年次の秋には、教授から学者の道を勧められた ―「大学院に行って、研究しなさい」。

「思想・哲学を社会に還元したい」

 教授に認められ、学者としての道が今までよりもはっきり見えてきた。自分自身がカントの言葉に救われたことからも、いかに哲学が人間にとって重要なものであるかを学んだ。そんな齋藤の頭には、ある考えが浮かび始める。「思想や哲学が、人間の人生を左右するほどの力を持つならば、思想・哲学をもって社会に影響を与えられるような仕事をしたい」。
 世間では、文学部廃止論が唱えられ、思想や哲学など役に立たないという風潮があった。だからこそ、自分がいかにそれらを社会に還元していくのか。そのことを考えつくした上で、自分の道を定めるべきではないか。
 齋藤の第二の戦いが始まった。様々な業界を調べる中で、学問の知見を広く発信できる出版業界や、広告・PR業界に視野を広げた。そして、公的機関から民間企業まで幅広い分野のPRを担うPR会社に内定した。「あらゆるメディアを第三者的に俯瞰して、最適な情報発信の戦略を立てられる“情報伝達のプロフェッショナル”になりたいんです」。齋藤は目を輝かせながら語る。「将来は、PR業界で培ったノウハウを生かし、急速な情報媒体の変化に合わせ、思想・哲学を発信していきたいです」。